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大阪地方裁判所 平成2年(行ウ)21号 判決 1992年12月14日

原告

魚見ミヨ子

右訴訟代理人弁護士

辺見陽一

被告

大阪中央労働基準監督署長新庄裕安

右指定代理人

石田裕一

太田清一

奥地美紀

山田勇

垣内久雄

宮林利正

千塚健吉

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実および理由

第一請求

被告が原告に対して昭和五九年九月一九日付けでした、労働者災害補償保険法(以下、労災保険法という。)に基づく保険給付不支給決定を取り消す。

第二事実および争点

一  事案の概要(当事者間に争いがない。)

1  魚見哲男(以下、哲男という。)の死亡と原告による労災保険法に基づく保険給付の請求

原告の夫であった哲男(昭和八年九月六日生。死亡当時五〇歳)は昭和五九年二月一日死亡した。原告は同年六月二九日、被告に対し、哲男の死亡は業務上のものであるとして労災保険法に基づく保険給付(遺族補償給付および葬祭料)の請求をしたが、被告は同年九月一九日、業務上のものとは認められないとしてこれを支給しない旨の決定をした(以下、本件不支給決定という。)。原告は本件不支給決定を不服として大阪労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが、同審査官は同六一年七月一〇日これを棄却した。原告はさらに労働保険審査会に対して再審査請求をしたが、同審査会はこれを棄却し、原告は平成二年一月一二日その裁決書謄本を受領した。

2  哲男が死亡に至った経緯

哲男は第一交通株式会社(以下、第一交通という。)のタクシー運転手として稼働していたが、死亡当日の午後六時頃、心臓発作を起こし、心臓疾患等の治療のため通院していたかかりつけの中川医院に自らタクシーを運転して赴いた。中川医院で治療を受けた結果、まもなく回復したので、哲男は医院の前に止めてあったタクシーに戻った。あらかじめ電話で連絡を受けていた原告がそこに到着し、車内で哲男と話をしていると、午後七時三〇分頃また発作が起きたので、哲男は再び中川医院で処置を受けたが、容体が重篤であり、救急車で大阪市立城北市民病院に搬送されたのち、午後八時四〇分頃同病院で死亡した。死因は心筋梗塞の疑いであるとされた。

3  哲男の職歴

哲男は、昭和三五年から同四二年頃までトラック等の運転に従事していたが、その後は死亡時まで継続してタクシー運転手の職にあり、約一〇回にわたり勤務先を変更した。第一交通では、五日間の講習を受けた後、同五八年一二月一五日からタクシー乗務をしていた。

二  争点

哲男の死亡は業務上のものか(哲男の死亡の業務起因性)。

(原告の主張)

1 業務起因性の考え方

哲男は昭和五六年頃から高脂血性心不全症、低血圧性心不全症、虚血性心不全症、糖尿病などの病名で治療を受けており、心筋梗塞の基礎疾病を有していたことは明らかである。しかし、基礎疾病があっても、業務の遂行が基礎疾病を悪化させ、死亡の共働原因となっている場合は、その死亡は業務に起因するといえる。すなわち、業務起因性があるというためには業務の比重が大きくなければならないわけではなく、たとえ業務の比重が少なくても、相当程度ないしは有意的に影響していればいいのである。

2 タクシー運転業務の心筋梗塞に対する影響

自動車の運転は、絶えず事故や災害、自傷他傷の危険に直面していて、持続的な緊張を必要とする一瞬の油断も許されない極めてストレスの強い仕事である。また、狭い車内での作業であって自由度が少なく身体拘束性が強い。運転を続けていると運動不足も著しくなる。

心筋梗塞の危険因子の一として精神的ストレス、運動不足などが指摘されているところであり、右にみたようにタクシー運動業務はこの危険因子を内包する。これに隔日勤における長時間労働と夜間労働が加わると、疲労が増大し、心筋梗塞の発症に対して甚だしい悪影響を及ぼす。

3 第一交通における哲男の拘束時間

第一交通における勤務は定められた時間どおりに行われていたわけではなく、実際の勤務は不規則であった。哲男の乗車開始時刻および入庫時刻は別表二・三(略)のとおりであるが、乗車開始時刻の前には始業点呼、車両点検等があり、入庫の後には洗車納金作業があるので、拘束時間は乗車開始時刻から入庫時刻までの時間に一時間を加えたものとなっていた。したがって、哲男の死亡前一週間の拘束時間は、一月二五日に二二時間四五分、二七日は二二時間三〇分、三〇日は二一時間四五分であって、第一交通の定める労働条件である一九時間を大幅に超えているのみならず、昭和五四年一二月二七日基発第六四二号通達「自動車運転者の労働時間等の改善基準について」(以下、二七通達という。)の定める二一時間をすべて超えている。

4 哲男の死亡は業務上のものである。

昭和六二年一〇月二六日付け労働省労働基準局長通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」(以下、認定基準という。)に従って検討する。

哲男は死亡のおよそ一年前から日勤昼勤のタクシー乗務に従事してきたが、第一交通での勤務を始めた後、寒気の特に厳しい一月下旬になって隔日勤という特に過重な業務に就労した。哲男のような病気持ちの比較的高齢の労働者が一年余も続けてきた日勤から隔日勤に変わる場合、隔日勤は過重となるというべく、このことは、哲男が、隔日勤に変わってから、だるい、しんどい、疲れる、歳をとると回復が遅い、と原告に言っていたことをみても明らかである。哲男の心筋梗塞はこの過重負荷を明らかに続けて受けてから八日目に発症している(一月二三日から二四日、二五日から二六日、二七日から二八日、三〇日から三一日と四回就労し、五回目の就労である二月一日の夕方乗務中に発症。)から、時間的経過も医学上妥当である。したがって、哲男の心筋梗塞は認定基準をすべて満たしており、業務に起因することが明らかである。

認定基準を離れて考えても、前述したタクシー運転業務の心筋梗塞発症に対する影響、哲男の職歴・勤務状況に鑑みれば、哲男の心筋梗塞は、既存疾病とタクシー運転労働とが共働原因となって発症したものであり、業務起因性がある。

(被告の主張)

1 業務起因性の考え方

業務起因性があるというためには、業務と疾病・死亡との間に相当因果関係が存在することが必要である。疾病・死亡の発現について業務上の事由の他に有力な要因が認められる場合には、これらの要因に比較して業務上の事由が質的に有力に作用したと認められた場合についてのみ相当因果関係があるとみるべきである。有力に作用したか否かの判断に当たっては、当該業務が当該疾病を生じさせる具体的危険を内在させているか否か、すなわち業務に内在する具体的危険と疾病との関連性という一定の客観的な要件が存在するか否かを判断の根拠としなければならない。業務が共働原因となれば足りるという原告の主張は妥当でない。

2 哲男の死亡は業務上のものではない。

(一) 哲男が心筋梗塞の基礎疾病を有していたことは争いがない。中川医院のカルテによると、哲男は総コレステロール値と中性脂肪値が高く、高脂血症であったこと、HDLコレステール値が低かったことを指摘できるし、喫煙癖もあった。そして、後述するようにその職歴や勤務状況に照らし、哲男の勤務内容が過重負担であったとは到底いえない。したがって、哲男の心筋梗塞は基礎疾病や素因が自然の経緯で増悪して発症に至ったといわざるをえず、業務は共働原因とすらみることができない。

(二) ストレスや疲労が心筋梗塞発症の一要素であることは否定できないとしても、重要な因子であるとする医学的知見は確立していない。

(三) 哲男は自動車運転手としての職歴が長く、昭和四二、三年頃から死亡時まで継続してタクシー運転手の職にあり、その間約一〇回に及び勤務先変更を経験している。勤務態様についてみると、同五七年頃までは隔日勤にのみ従事し続け、その後同五八年九月頃まで日勤と隔日勤とを繰り返し行うようになったのであるから、結局、継続して日勤にのみ従事していたのは、四か月間程度にすぎない。

このように哲男は自動車運転業務そのものに極めて習熟していたばかりか、転勤や隔日勤の経験も豊富に有していたのであり、新しい職場で慣れない勤務についたためストレスや疲労を蓄積し過重な負荷を受けたとは考えられない。自動車運転業務の特殊性を強調する原告の主張はすべて一般論でしかなく、過去の職歴や勤務状況に照らし、相当の業務熟練性を有していたと認められる哲男にそのままあてはまるものではない。

(四) 哲男の第一交通における勤務状況をみると、主として日勤に従事していた間の勤務実績には特段指摘に値する過重な点は存しない。また、哲男は一月二三日からいきなり隔日勤に入ったのではなく、一月一日と一五日にも隔日勤を経験している。第一交通の隔日勤Aは、拘束一九時間、実働一六時間であり、二七通達に定められた基準である最長拘束時間の二一時間以下である。そして、隔日勤の拘束時間が所定の拘束時間を超える時は休憩時間も所定の三時間を大きく上回っている。いずれにせよ、哲男が隔日勤に従事するようになって急に勤務が過重になったとは認められない。

発症一週間の勤務実績をみても、勤務が特に過重になっていったような経過はなく、勤務明けの休養日はきちんと消化しているほか、発症三日前の一月二九日は勤務明けに続いて公休をとっており、発症の前日である三一日も勤務明けで休養している。

発症当日も、業務に関連する事故やトラブル発生などの異常な出来事に遭遇した事跡はなく、三回にわたってそれぞれ一〇分間ないし二〇分間の小休憩をとった後、中川医院を訪れる直前に三時間を超える休憩をしている。当日午後六時の気温は五・九度であったことが確認されており、たとえ幾分の気温低下があったとしても、発症に影響するほどのものであったとは考えられない。

また、第一交通における全勤務を通じて、哲男の勤務実績は年齢的にほぼ近い同僚四名の同時期の勤務状況と比較して過重であったとはいえない。

第三争点に対する判断

一  業務上外判定の基準

労働者が業務上死亡した場合とは、労働者が業務に基づく傷病に起因して死亡した場合をいい、右傷病と業務との間には相当因果関係のあることが必要であり、その傷病が原因となって死亡事故が発生した場合でなければならない。傷病の発生に関して業務を含む複数の原因が存在する場合は、業務が傷病発生の相対的に有力な原因であるならば業務と傷病との間に相当因果関係があるということができる。この考え方は、労働者にもともと存在した傷病の素因や基礎疾病が業務の遂行により誘発されあるいは増悪し、それが原因となって労働者が死亡した場合の業務起因性の判断にあたっても妥当する。

哲男は後記のとおり心筋梗塞によって死亡したのであるから、その心筋梗塞と業務との間に相当因果関係があれば、死亡は業務上のものということができる。そして、哲男は心臓疾患、糖尿病、喫煙等の心筋梗塞の基礎疾病、素因を有していたから、業務が右心筋梗塞発症の相対的に有力な原因であるならば、業務と右心筋梗塞との間に相当因果関係があるということができる。

二  哲男の死因

哲男が死亡に至った経緯(第二の一の2)および証拠(<証拠・人証略>)によれば、哲男の死因は冠状動脈硬化に起因する心筋梗塞であると認めることができる(以下、本件心筋梗塞という。)。

三  心筋梗塞について

1  心筋梗塞の原因(<証拠・人証略>)

心筋梗塞は、一般に、冠状動脈(心臓を養う動脈)に粥状硬化(脂質やコレステロールが沈着し血管の内腔が粥状のものでどろどろになった状態をいう。)が生じ内腔が狭くなっているところに血液の凝固成分などが詰まって血流を遮断する(血栓形成という。)ことにより発症する。

冠状動脈に粥状硬化を起こす因子としては遺伝的体質、高血圧、高脂血症(コレステロールと中性脂肪の値が高いものをいう。)、喫煙、加齢、糖尿病、精神的ストレス、運動不足などがあげられる。これらの因子が重なりあうほど心筋梗塞は発症しやすいが、医師小林敬司作成の陳述書(<証拠略>)と同医師の証言によれば、特に高血圧、高脂血症、喫煙の三者が心筋梗塞の三大因子といわれている。

2  心筋梗塞にストレスが及ぼす影響

(一) ストレス(狭義)とは心身に負荷のかかった状態、あるいは無理にねじ曲げられている状態のことをいうが、一般にはその基となる身体精神の内的外的の要因、すなわちすべての有害作用因子を含めてストレス(広義)といっている(<証拠略>)。したがって業務もストレスになりうる。

(二) 過重な業務負荷は血圧の上昇や血流量の増加、心臓の仕事量の増大、心臓への負担の増加を招き、心筋梗塞発症の原因となる(<証拠略>)。

(三) 業務による慢性的なストレスが、心筋梗塞の何らかの器質的な要素を持っている者にとって、心筋梗塞発症に影響を及ぼすことは否定できないが、ストレスそのものが冠状動脈の粥状硬化に結びつくものではなく、ストレスと心筋梗塞との関係については、現在のところはっきりしたことは分かっていない(<証拠・人証略>)。

医師田尻俊一郎の作成の意見書(<証拠略>)は、ストレスが心筋梗塞発症に大きな影響を与えるというが、右意見書によっても、ストレスが他の因子に比べてことさら大きな影響を及ぼすことが論証されているわけではなく、結局のところストレスや過労が心筋梗塞発症の原因となりうることが述べられているにすぎず、ストレスと心筋梗塞との関係については現在のところはっきりしたことは分かっていないという右証人小林医師の意見を否定するものではないというべきである。

四  哲男の健康状態、嗜好(<証拠・人証略>)

1  受診歴

哲男は原告と結婚して以来これといった病気もなく健康にすごしてきたが、昭和五六年から、自宅近くの開業医の中川医院で診察、治療を受け始めた。心筋梗塞と関係のある傷病についての受診歴は次のとおりである。

<1> 昭和五六年一〇月二四日からの受診

胸部重圧感、胸内苦悶感を訴え、高脂血症心不全症と診断される。

<2> 同五八年一月二六日からの受診

血圧が低く、低血圧性心不全と診断される。

<3> 同年八月一〇日からの受診

胸内苦悶感、強胸部圧迫感を訴え、虚血性心不全症と診断される。また、糖尿病とも診断されたが、血糖値は正常値より高いが尿に糖は出ず、軽度のものであった。

この間、同五六年一〇月三〇日、同五八年一月二六日、同年一〇月四日の三回、血液検査を行った。その結果によると、総脂質、総コレステロールの値が正常値より非常に高く、中性脂肪、GPT(トランスアミナーゼ)、β―リポ蛋白の値も正常値より高い一方、HDLコレステロールの値が正常値より低く、心筋梗塞発症の危険が認められた。

中川医院では心臓疾患に対する治療を継続したが、それにもかかわらず症状は進行する傾向にあった。

同五九年一月一四日、哲男は心臓発作のため深夜中川医院を訪れ治療を受けたことがある。

2  死亡当日の受診

哲男は午後六時四〇分頃中川医院を訪れ、苦痛を訴えた。中川医師は急性心不全の発作と判断し、強心剤の注射を二本打った。哲男はしばらく休憩した後、楽になったといって医院を出たが、七時三〇分すぎに原告が中川医師を呼びにきて、哲男が医院前のタクシーの中で倒れていると言った。そこで中川医師が見にいくと、哲男は再び急性心不全の発作を起こしており、脈はほとんどなく、心音もかすかで、瞳孔は散大し、呼吸もほとんど停止していた。

3  嗜好

哲男は一日に煙草を二、三〇本吸っていた。隔日勤のときは一昼夜の勤務中に四〇本ほど吸っていた。

五  哲男の勤務状況等

1  第一交通における勤務形態(当事者間に争いがない。)

第一交通では、次のとおり四種類の勤務形態が定められていた(別紙(略)「第一交通の勤務形態」参照)。

<1> 日勤昼勤

所定労働時間 始業午前七時、終業午後六時(拘束一一時間)

所定休憩時間 午前九時から九時三〇分まで、同一一時三〇分から午後〇時三〇分まで、同二時三〇分から三時まで(合計二時間)

所定休日 月四回(週一回)

乗務回数 月二六乗務

<2> 日勤夜勤

所定労働時間 始業午後七時、終業午前六時(拘束一一時間)

所定休憩時間 午後九時から九時三〇分まで、同一一時三〇分から午前〇時三〇分まで、同二時三〇分から三時まで(合計二時間)

所定休日 月四回(週一日)

乗務回数 月二六乗務

<3> 隔日勤A

所定労働時間 始業午前八時、終業翌日午前三時(拘束一九時間)

所定休憩時間 午後〇時から一時まで、同五時から六時まで、同一一時から午前〇時まで(合計三時間)

所定休日 月四回(三乗務して一日)

乗務回数 月一三乗務

<4> 隔日勤B

所定労働時間 始業午前一一時、終業翌日午前六時(拘束一九時間)

所定休憩時間 午後二時から三時まで、同八時から九時まで、午前三時から四時まで(合計三時間)

所定休日 月四回(三乗務して一日)

乗務回数 月一三乗務

2  第一交通における哲男の勤務状況(証拠を挙げたもの以外は当事者間に争いがない。)

(一) 哲男は、第一交通でタクシー乗務を始めた昭和五八年一二月一五日から同五九年一月二〇日までは日勤昼勤(前記<1>)の勤務形態であったが、同月二一日からは隔日勤A(同<3>)に変わった。なお、同五九年一月一日から二日まで、三日から四日まで、一五日から一六日までは事実上隔日勤Aの勤務形態であった。

死亡当日までの哲男の勤務形態、休暇等の状況は別表一(略)のとおりであり、タクシー乗務状況は同二・三のとおりである。死亡当日は、午前八時すぎに乗車を開始し、午後三時すぎまでタクシー運転をしていたが、その後午後六時すぎまで三時間ほど休憩をとっている(<証拠略>)。

(二) 同五八年一二月一五日以降、哲男がタクシー運転手として走行した距離(以下、走行キロという。)は六四九九キロメートルであり、右走行キロのうち乗客を輸送した距離(以下、乗車キロという。)は二九三七キロメートルである。乗務日数は四〇日であり、一乗務日数あたりの平均走行キロは一六二・五キロメートル、平均乗車キロは七三・四キロメートルであって、走行キロのうち乗車キロの占める割合(以下、乗車率という。)は四五パーセントである。

(三) 死亡前一週間の勤務状況は次のとおりである。

<1> 昭和五九年一月二五日から二六日まで

走行キロ 三七二キロメートル

乗車キロ 一七三キロメートル

乗車回数 三二回

乗車人員 三九名

稼働高 四万円

<2> 同月二七日から二八日まで

走行キロ 四〇二キロメートル

乗車キロ 二一一キロメートル

乗車回数 三〇回

乗車人員 四〇名

稼働高 五万六八二〇円

<3> 同月二九日

公休

<4> 同月三〇日から三一日まで

走行キロ 三九九キロメートル

乗車キロ 一九六キロメートル

乗車回数 二八回

乗車人員 五八名

稼働高 四万六〇四〇円

<5> 同年二月一日

走行キロ 一一九キロメートル

乗車キロ 五七キロメートル

乗車回数 一〇回

乗車人員 一一名

稼働高 一万二三〇〇円

3  哲男が日勤昼勤のみに従事していた期間

原告の聴取書(<証拠略>)によれば、哲男の勤務形態はタクシー運転手の職について以来ずっと隔日勤であったが、扶桑タクシーに勤務していた昭和五七年頃に日勤になったという。しかし、原告は本人尋問において、記憶がはっきりしないというものの、哲男は扶桑タクシーでもその後に勤務した二葉交通(同五八年七月頃から九月頃まで勤務)でも日勤と隔日勤の両方をしていたと供述する。前記2の(一)のとおり、第一交通において日勤の勤務形態にもかかわらず事実上隔日勤をしていたことがあったことからすると、哲男は同五七年頃に日勤に変わってからも隔日勤をしたことがあったと推測することは不合理でなく、扶桑タクシーでも二葉交通でも日勤と隔日勤の両方をしていたという原告の供述は一応信用できると考える。哲男が第一交通で隔日勤を始めたのは同五九年一月であるから、哲男が日勤のみに従事していたのは、長く見積もっても五か月間程度にすぎないというべきである。

4  第一交通における哲男の同僚のうち哲男と年齢の近い者四名の昭和五八年一二月一五日から同五九年一月三一日までの乗務状況(当事者間に争いがない。)

<1> 宮本利(昭和七年一二月二九日生)

同五八年八月八日入社、日勤乗務員

乗務日数 四〇日

走行キロ 五五七七キロメートル(一日平均一三九・四キロメートル)

乗車キロ 二六六六キロメートル(一日平均六六・六キロメートル)

乗車率 四七・八パーセント

<2>檜物三郎(昭和七年四月二七日生)

同五八年二月二六日入社、日勤乗務員

乗務日数 四〇日

走行キロ 五三六二キロメートル(一日平均一三四キロメートル)

乗車キロ 三〇六四キロメートル(一日平均七六・六キロメートル)

乗車率 五七・一パーセント

<3> 金田厳(昭和七年四月二三日生)

同五八年六月九日入社、隔日勤乗務員

乗務日数 四四日

走行キロ 七四九一キロメートル(一日平均一七〇・二キロメートル)

乗車キロ 三九八九キロメートル(一日平均九〇・六キロメートル)

乗車率 五三・二パーセント

<4> 亀川富司(昭和九年三月八日生)

同五八年三月二二日入社、隔日勤乗務員

乗務日数 四一日

走行キロ 六七〇一キロメートル(一日平均一六三・四キロメートル)

乗車キロ 三六六八キロメートル(一日平均八九・五キロメートル)

乗車率 五四・七パーセント

六  これまで述べてきたところをもとに、哲男の死亡が業務上のものか否かについて判断する。

1  哲男の有していた心筋梗塞の基礎疾病、素因について

哲男には心臓疾患があり、昭和五六年以来治療を継続していたにもかかわらず症状が進行し、相当程度重篤な状態にたち至っていたこと、さらに糖尿病(軽度であるが)、喫煙という心筋梗塞発症の因子を有していたこと、血液検査の結果によっても早くから心筋梗塞発症の危険が認められること、死亡から半月ほど前の一月一四日深夜に起こした心臓発作は本件心筋梗塞の前駆症ではないかと考える余地もないわけではない(<証拠略>によると、心筋梗塞の発作前に狭心痛等の前駆症があることがあり、発作一月前以内に前駆症の現れる割合は五〇パーセント以上である。)ことからすると、本件心筋梗塞は哲男がもともと有していた心筋梗塞の基礎疾病、素因が自然的経過によって増悪したことにより生じたのではないかと疑う理由が十分にある。

2  哲男の業務上の負荷について

昭和五八年一二月一五日に第一交通でタクシー乗務を始めるまでの哲男のタクシー運転業務が過重であったと認めるに足りる証拠はない。

第一交通で日勤の勤務形態であった時期をみると、まず、労働時間については、乗車開始時刻がほとんど午前七時台であり入庫時刻がほとんど午後五時台であることは、第一交通の日勤昼勤の勤務形態の所定労働時間にほぼ従うものといえる(なお、<証拠略>によれば、第一交通における勤務形態はいずれも二七通達に従うものである。)。事実上隔日勤の勤務形態であった一月一日、三日、一五日については、一月一日は、乗車開始時刻午前八時四〇分、翌朝入庫時刻午前一二時三〇分、休憩時間合計二時間一〇分であり、第一交通の隔日勤Aの勤務形態の所定労働時間よりも短く、一五日はそれぞれ午前八時二〇分、午前四時〇〇分、六時間四五分であり、同隔日勤Aの勤務形態の所定労働時間を超えるがその分休憩時間が長くなっている(一月三日はタコメーターがないので不明)。次に、休日については、一二月二四日、一月五日、八日、一七日に公休をとり、一月一八日に欠勤している。

第一交通で隔日勤の勤務形態に変わった後の時期をみると、まず、労働時間については、乗車開始時刻、翌朝入庫時刻とも第一交通の隔日勤Aの所定労働時間の範囲を超える(一月二三日はタコメーターがないので不明)が、休憩時間は長くなっており、実労働時間は一月二五日が一七時間二〇分、二七日が一五時間二五分、三〇日が一五時間四五分であって、第一交通の隔日勤Aの実労働時間を大幅に超えるものではない。次に、休日については、一月二一日に欠勤し、二二日、二九日に公休をとっている。また、走行キロ、乗車キロ、乗車回数をみても、(証拠略)によって認められる第一交通のタクシー運転手の平均的な値を大幅に超えるものではない。

死亡前日は隔日勤の勤務明けであり、死亡当日も、業務によって過重の負荷を受けたと認めるに足りる証拠はない。

昭和五八年一二月からの第一交通におけるタクシー運転業務全般についてみても、哲男の勤務実績は年齢の近い同僚の勤務実績とたいした違いはない。

原告は、およそ一年間の日勤の後に隔日勤に変わったことが過重負荷となると主張するが、一年間も日勤をしていたとは認められないし、また、隔日勤に変わってからの業務も右にみたように過重であるといえないから、隔日勤に変わったことが過重負荷になるということはできない。

原告は、タクシー運転業務が心筋梗塞の発症に対して悪影響を及ぼすことを強調するが、タクシー運転業務と心筋梗塞との有意の関連性を認めるに足りる証拠はない。

このようにみてくると、哲男に過重な業務負荷がかかったとか、業務による慢性的なストレスが蓄積していたということはできない。

3  以上を総合的に考慮すれば、哲男の業務上の負荷が自然的経過を超えて本件心筋梗塞を発症させたと認めることはできず、業務が本件心筋梗塞発症の相対的に有力な原因であるとはいえない。したがって、業務と本件心筋梗塞との間に相当因果関係があるということはできない。

七  よって、哲男の死亡は業務上のものと認められないとした本件不支給決定は正当であり、原告の請求は理由がない。

(裁判長裁判官 蒲原範明 裁判官 野々上友之 裁判官 倉地康弘)

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